TOKYO2020 東京オリンピックの活動報告

TOKYO2020 東京オリンピックの活動報告
~広島県セーリング連盟の関わりかた~

広島県セーリング連盟 競技委員会
松尾英樹

2013年9月アルゼンチンのブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会で東京オリンピックが決定しました。その発表からオリンピック開催までの約7年の期間へ加え、新型コロナウィルス感染症により1年の延期が決まり、結果的に約8年の準備期間がありました。

1.大会概要

 大会期間:                 2021年7月20日~8月6日 18日間(前後の準備、片付け含む)

 レース開催日:          7月26日~8月5日  11日間(レースの期間)

 艇種:                       NACRA17(男女混合)

                                  49er(男子)、49FX(女子)、

                                  RS-X(男女)、470(男女)

                                  Laser(男子)、Laser-Radial(女子) 

                           Finn(男子)  合計10種目

 参加艇数:                 各クラス20~45艇(各種目により艇数の違いあり)

 レース海面:             江ノ島沖に6海面

 海上スタッフ:        6海面×30名=180名 

 陸上スタッフ:          150名 

 ボランティア:          300名         合計:約630名/日

2.広島県連メンバーのクラス及びポジション

 レーザーチーム        松尾(Mark 2 Mark Layer)、河井(Finish Crew)

 RS-Xチーム            檜皮(Finish-Pin Crew)、豊田(Mark 2 Crew)、石川(Mark 3 Crew)

 マーシャルチーム       藤井

 ブリッジチーム          大原   以上7名
  ※吉川、土井、松尾(恵)の3名は2019年のテストイベント、トレーニングまでは参加したが本番は不参加

3.求められる運営スキル

オリンピックが開催される江の島は世界でも稀に見る荒海です。2019年のテストイベント、ワールドカップでは合計20日間で、おだやかな海は2、3日ほどで、残りの日々は風速20knotオーバー、波高2mと広島では台風でも来ないと考えられないコンディションでした。さらには、水深20m~100mの海面でレースは行われますし、遠い海面ではハーバーから8kmもあり、往復だけでも一苦労ですから、広島の海では考えられない環境下での大会でした。

そんなタフな風、波、水深の中、2mほどの巨大なマークを本部船から指示される位置へ短時間(約3分)でGPSやタブレット端末を駆使し、誤差15m以内で指示位置へ設置することを要求されます。

またレース中は僅かな風の変化でも都度、マークの変更が発生し、短時間で設置し直すことを要求されます。しかも運営船は、通常我々が広島で使用しているボート(全長6m、60馬力)とくらべると遥かに大きなボート(全長9m、250馬力)を操る必要があるのですから、操船技術、マーク設置技術、ルールの理解度など求められる運営スキル、難易度は想像を超えるものでした。

4.江の島でのトレーニング

上記のハードコンディションの中、要求されるスキルを身に着けるにはトレーニングしかありません。JSAFレースマネジメント委員会では約3年の期間に40回のトレーニングを開催しました。トレーニングには全国からメンバーが集まり、江の島の海でレースを想定したオペレーションを行い、想定されるポイントへ正確にマーク打つことを繰り返します。マーク、アンカー、ラインなど通常我々が使っている物とは形状やサイズ、ロープの長さなど違うために、勝手も全く違います。

更に我々を苦しませたのは「船酔い」です。数十年もヨットに乗っている我々ですから、船酔いなどあり得ないと思っていましたが、甘い考えでした。前述にもあるようにマークの設置やレースの情報を得るためには、GPSやタブレット端末を常に見ている必要があります。荒れた海で下を向いてGPSの小さな字を見続ければ、どれだけ慣れた人でも直ぐに船酔いします。酔い止めの薬は手放せないものでした。 広島のメンバーは、上記のトレーニングへ何度も足を運んでスキルアップをしてきました。慣れない海面、目まぐるしいレース展開に悪戦苦闘しながらトレーニングへ取り組みました。時には江の島のレースを想定したトレーニングを広島の海で行いました。

5.オリンピックの開幕

新型コロナウィルス感染症の影響でなかなか準備が進まない中で始まったオリンピックです。本来の大会以上に準備や決まりごとが多く、関係者は苦労が絶えない状況でした。

<特別に用意された新型コロナウィルス感染症対策>

  • 大会関係者には優先的にワクチン接種を受けることが出来た。
  • 毎日の健康状態をオンラインで提出した
  • 会場のゲートで体温チェック、消毒があった
  • 毎日、ゲートでPCR検査があった
  • 会場と宿泊施設は専用バスがあり、一般の方との接触を避けるバブル方式が取られた
  • 宿泊施設も同様にバブル方式であった
  • 陸上、海上ともマスクの着用が義務付けられた(海上は暑いので大変であった)

いざレースが始まると、今までのレース運営では感じたことのない、緊張感を味わいました。何百回も繰り返しやってきた、マーク打ちも、もしアンカーが効かなかったら・・・もしラインがほどけたら・・・もしスクリュにラインが絡まったら・・・手が震えました。同乗していたメンバーも同じ心境だったでしょう。このオリンピックに人生を掛けてきた選手の前で、我々の不手際によってレースが中止や延期になることを想像すると更に緊張が増してきました。

それに加えマーク際では我々のマークボート、OBS(オリンピック放送機構)、メディアボート、コーチボートが熾烈な場所争いをします。更に上空はヘリコプターにドローンもいます。もちろん、それぞれ決められたポジションがありますが、少しでも良い位置を確保するため、至る所から怒号が聞こえます。とてもレースを見る余裕も、日本選手がどこを走っているかなど見る余裕もありません。

レースの進行は、シグナルボート(本部船)、ピンボート(スタートアウター)、フィニッシュに各1名のワールドセーリングのレースオフィサーが乗り込み、彼らの指示のもとで皆が動きます。求められるレベルが高いことは勿論、マークを打つタイミングや、C旗、N旗、M旗などのオペレーションは普段の日本のレースでは馴染みの少ない方法が多く、最初は戸惑いも多かったです。時には「それは無理だ。間に合わない、時間が無い」と言い返したくなる指示が無線機でドンドン飛んできますが、こちらもトレーニングを重ねてきた意地があります。涼しい顔で任務をやり抜くしかありません。

当初、クラス毎に運営メンバーは決まっていましたが、大会の後半になると消化できていないレースを当初の海面とは違う場所で、違う運営メンバーでレースを行うこともありました。例えばレーザーの運営メンバーで49erのレースを行うわけです。コースレイアウト、ターゲットタイムなど全く違う艇種をオペレーションする訳ですから、更に過酷な任務を強いられます。

ここまで書くと大変なことばかりに感じますが、最後のメダルレースでの金メダル獲得の瞬間や、応援団に手を振る姿や、歓喜の余り海へ飛び込む選手たちを、目の前で見ることが出来たのは、ここへ居た我々の特権であったと思います。恐らく一生、この光景をこれほど近くで見ることは無いでしょう。

そして全国から高い志で集まった運営メンバーは戦友です。多くの同志と一緒に切磋琢磨出来たこの経験は一生忘れることのない宝物です。

6.東京オリンピックのレガシー

東京オリンピックへの広島メンバーの関わりは、約3年に渡ります。元々は東京オリンピックへ関わりたいという単純な気持ちから有志が集まり、多くの時間とお金を掛けて取り組みました。要求レベルの高い国際大会を何度も経験し、慣れないボートや、慣れない機材、そして慣れない天候で船酔いしてクタクタになりながら取り組んだことは、もはや東京オリンピックの為だけではありません。これらは広島県セーリング連盟のメンバーの立派なレガシー(遺産、財産)になったことは間違いありません。これらの経験やスキルは必ずや広島県セーリング連盟の今後の活動へ活かされることに違いありません。そしてこれらの経験から得たスキルを後世へ伝えて行くことも、我々の重要な責務であると感じています。

最後にこのような貴重な経験をさせて頂いた、日本セーリング連盟、広島県セーリング連盟の皆様、そして職場の仲間たち、家族・・・感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。